日々のこと・・・
シスター.宮城送別会
これまでお世話になった園長先生の送別会
園長先生は既に4月1日付で新しい勤務地でのお仕事をされているので、今回はその場所で開催
御参加下さいました皆様、事前に御協力頂きました皆様、1人1人のご協力と参加頂いた皆様のおかげで楽しい親子での時間を過ごす事ができました。 本当にどうもありがとうございました
今回の皆さんと準備したプレゼントは、
・ブリザードフラワーで作った額(記名部分がある為、画像を一部隠してます)
・子供達の手作り折り紙やお手紙
・特大画用紙の『だいす木(き)手形』
・長命草のハーブ花束風(1つ食べると1日寿命が延びると言われています)
園長先生や他のシスター達がいつまでの元気でいられますように
今回の開催場所
与那原『聖クララ教会』に隣接する修道院こちらの敷地かなり広く、教会、教会用庭、シニア修道院、ヤング修道院、見習いシスター用の修道院、幼稚園、駐車場がありました。
沖縄での主となる修道院との事で25?30?位の個別の研修生用の個室があり、大きな中庭があって、オシャレな池?もあり、戦後のアメリカの影響を受けたシンプルモダンな修道院でした(特に今回は子供達の安全を配慮して、本来一般の方が原則入れない中庭を会場にして頂きました)
画像は一般の方でも入れる方の芝で、会場になった中庭はこの5倍位の面積
長命草の食べる花束
自宅でラッピング終了直後の撮影
プレゼントタイム★白のバッグには子供達手作り品やお手紙が山ほど入ってます
これが一番うれしそうでした
ここからは当日ご質問があった方への回答等と皆様のコメントのご紹介
≪今後のお仕事≫
2015年12月26日『聖マリアの汚れなき御心のフランシスコ姉妹会』の全姉妹が与那原本部に集い、押川司教様の臨席のもと、5日間にわたる総集会が開かれました。
協議会の後、新会長と総評議員の選挙が行われ、シスター.アグネス(宮城園長先生)が修道会の責任者として会長となられました。
園長先生は、5月からは暫く、スペイン、イタリア、バチカン市国(キリスト教の総本山)で、ローマ法王(教皇)とのお祈りなどがあり暫く日本を留守にされるそうです 80代の園長先生は、『最近足の調子も悪いから、折り畳みステッキは買ってきたわよ』と、笑いながら話されてました。
また、子供達と離れる事だけが凄く寂しいので下にあるクララ幼稚園にかわいい子供達と遊びに80段の階段を下りて行くと話されてらっしゃいました。今回の職は、海外出張の際等も代理NGで、会長職4年の任期なんとか頑張ってみますと通例で80代は殆どないらしいです。
また、今回の会長職の主な目的が『自分たちの使命が何であるかを明確に言語化し、次世代に引き継いでいく』という事であるそうです。
園長先生は、子供達が大好きでいつでも会いたくなったらこの修道院に遊びにいらっしゃいと言って下さいましたが、今回の会長職はかなり責任の重い職の様で、御多忙の中なかなかお時間を割いて頂くのも難しい様にも感じました。
私達が居る時間にも、これから忙しくてなかなかお会いできないからと、他教会から園長先生に御挨拶にとシスターが数名いらしていました。
今回送別会に参加されたママさんの祖母が、戦後こちらの教会で復興作業をお手伝いをされた当時のお話をされていました。
以前私も当時の父兄から伺ったのですが、
園長先生は以前クララ幼稚園での勤務もされており、戦後の幼児教育に尽力された方で、当時の父兄にはイタリアのモンテッソーリ教育は始めは全く理解されない状況もあり、いかにこの教育方法が素晴らしいかを父兄に一所懸命に説かれ、その結果PTAとの絆が深まり、モンテッソーリ教育で3年間学んだ事を新1年生になってパタッと辞めるのは惜しいという事もあり、園長先生が中心となってそれに賛同した保護者と一緒に立ち上げたのが現在の『ボーイスカウト与那原1団』基本的に団の番号はその地域の初団順のため、与那原は1団・・・県内初の発足という事ですね 現在も園長先生とその当時共に行動した方々が、団長や隊長などをされています。やはり皆さん園長先生に似てます。
その様な事もあり、戦渦で荒廃した沖縄でフェリックス・レイ司教様によって様々な事業が興されました。なにより、社会復興のためには幼稚園が必要との認識から、ケヴィン・スミス神父、シスター久場、シスター平良、シスター永富の4人体制でクララ幼稚園がスタートし、その後モンテッソーリ教育が導入、シスター宮城などがそのバトンを受け継ぎさらにボーイスカウトという形で裾野を広げて下さったおかげで、現在の様な(県外と大差のない幼児教育)を息子が受ける事が出来る環境に感謝しています。
また、その基盤を作って頂いた1人でもあるシスター.宮城に親子共々感謝をしています。
現在の環境が元から自然に有ったものではなく、人の手によって作られ、手から手へバトンリレーされて来たことを立ち止まって考え、その関係者であるシスター.宮城に直接お礼を出来たこと、これらの事を息子に伝えるとても良い機会になりました。
息子はまだ5歳なので、これらの事を全て理解してもらうのは無理ですが参加する事で感じる事はあったと思います。人への感謝の心を感じられる子供に育ってほしいと願う母ですが
現在の与那原警察署付近の戦後の画像が無く、類似のイメージ画像を掲載してます
園長先生は既に4月1日付で新しい勤務地でのお仕事をされているので、今回はその場所で開催
御参加下さいました皆様、事前に御協力頂きました皆様、1人1人のご協力と参加頂いた皆様のおかげで楽しい親子での時間を過ごす事ができました。 本当にどうもありがとうございました
今回の皆さんと準備したプレゼントは、
・ブリザードフラワーで作った額(記名部分がある為、画像を一部隠してます)
・子供達の手作り折り紙やお手紙
・特大画用紙の『だいす木(き)手形』
・長命草のハーブ花束風(1つ食べると1日寿命が延びると言われています)
園長先生や他のシスター達がいつまでの元気でいられますように
今回の開催場所
与那原『聖クララ教会』に隣接する修道院こちらの敷地かなり広く、教会、教会用庭、シニア修道院、ヤング修道院、見習いシスター用の修道院、幼稚園、駐車場がありました。
沖縄での主となる修道院との事で25?30?位の個別の研修生用の個室があり、大きな中庭があって、オシャレな池?もあり、戦後のアメリカの影響を受けたシンプルモダンな修道院でした(特に今回は子供達の安全を配慮して、本来一般の方が原則入れない中庭を会場にして頂きました)
画像は一般の方でも入れる方の芝で、会場になった中庭はこの5倍位の面積
長命草の食べる花束
自宅でラッピング終了直後の撮影
プレゼントタイム★白のバッグには子供達手作り品やお手紙が山ほど入ってます
これが一番うれしそうでした
ここからは当日ご質問があった方への回答等と皆様のコメントのご紹介
≪今後のお仕事≫
2015年12月26日『聖マリアの汚れなき御心のフランシスコ姉妹会』の全姉妹が与那原本部に集い、押川司教様の臨席のもと、5日間にわたる総集会が開かれました。
協議会の後、新会長と総評議員の選挙が行われ、シスター.アグネス(宮城園長先生)が修道会の責任者として会長となられました。
園長先生は、5月からは暫く、スペイン、イタリア、バチカン市国(キリスト教の総本山)で、ローマ法王(教皇)とのお祈りなどがあり暫く日本を留守にされるそうです 80代の園長先生は、『最近足の調子も悪いから、折り畳みステッキは買ってきたわよ』と、笑いながら話されてました。
また、子供達と離れる事だけが凄く寂しいので下にあるクララ幼稚園にかわいい子供達と遊びに80段の階段を下りて行くと話されてらっしゃいました。今回の職は、海外出張の際等も代理NGで、会長職4年の任期なんとか頑張ってみますと通例で80代は殆どないらしいです。
また、今回の会長職の主な目的が『自分たちの使命が何であるかを明確に言語化し、次世代に引き継いでいく』という事であるそうです。
園長先生は、子供達が大好きでいつでも会いたくなったらこの修道院に遊びにいらっしゃいと言って下さいましたが、今回の会長職はかなり責任の重い職の様で、御多忙の中なかなかお時間を割いて頂くのも難しい様にも感じました。
私達が居る時間にも、これから忙しくてなかなかお会いできないからと、他教会から園長先生に御挨拶にとシスターが数名いらしていました。
今回送別会に参加されたママさんの祖母が、戦後こちらの教会で復興作業をお手伝いをされた当時のお話をされていました。
以前私も当時の父兄から伺ったのですが、
園長先生は以前クララ幼稚園での勤務もされており、戦後の幼児教育に尽力された方で、当時の父兄にはイタリアのモンテッソーリ教育は始めは全く理解されない状況もあり、いかにこの教育方法が素晴らしいかを父兄に一所懸命に説かれ、その結果PTAとの絆が深まり、モンテッソーリ教育で3年間学んだ事を新1年生になってパタッと辞めるのは惜しいという事もあり、園長先生が中心となってそれに賛同した保護者と一緒に立ち上げたのが現在の『ボーイスカウト与那原1団』基本的に団の番号はその地域の初団順のため、与那原は1団・・・県内初の発足という事ですね 現在も園長先生とその当時共に行動した方々が、団長や隊長などをされています。やはり皆さん園長先生に似てます。
その様な事もあり、戦渦で荒廃した沖縄でフェリックス・レイ司教様によって様々な事業が興されました。なにより、社会復興のためには幼稚園が必要との認識から、ケヴィン・スミス神父、シスター久場、シスター平良、シスター永富の4人体制でクララ幼稚園がスタートし、その後モンテッソーリ教育が導入、シスター宮城などがそのバトンを受け継ぎさらにボーイスカウトという形で裾野を広げて下さったおかげで、現在の様な(県外と大差のない幼児教育)を息子が受ける事が出来る環境に感謝しています。
また、その基盤を作って頂いた1人でもあるシスター.宮城に親子共々感謝をしています。
現在の環境が元から自然に有ったものではなく、人の手によって作られ、手から手へバトンリレーされて来たことを立ち止まって考え、その関係者であるシスター.宮城に直接お礼を出来たこと、これらの事を息子に伝えるとても良い機会になりました。
息子はまだ5歳なので、これらの事を全て理解してもらうのは無理ですが参加する事で感じる事はあったと思います。人への感謝の心を感じられる子供に育ってほしいと願う母ですが
現在の与那原警察署付近の戦後の画像が無く、類似のイメージ画像を掲載してます
この記事へのコメント
初めまして!懐かしいシスター宮城のお写真を拝見できてとっても嬉しかったです。シスター宮城はお元気でしょうか?
EUから日本へ出すのは手紙やカードでさえも難しくなりました。シスター宮城からいただいた2020年EMSクリスマスカードは2021年2月に届きました。お礼を書いてお送りしたのですけど、戻ってきてしまいました。
もしシスター宮城にお会いする機会がありましたら、ウィーンからのご挨拶をお伝えしてくださったらとてもうれしいです。
みなさま、どうぞお元気で!
EUから日本へ出すのは手紙やカードでさえも難しくなりました。シスター宮城からいただいた2020年EMSクリスマスカードは2021年2月に届きました。お礼を書いてお送りしたのですけど、戻ってきてしまいました。
もしシスター宮城にお会いする機会がありましたら、ウィーンからのご挨拶をお伝えしてくださったらとてもうれしいです。
みなさま、どうぞお元気で!
Posted by シュタインベック明美 at 2021年12月03日 08:33