生活アドバイザーへの道のり
過去の職歴・和食店
生活アドバイザーを目指している私の過去の職歴ご紹介です。
今回は私の原点ともいえるお店。沖縄県内の和食のお店。お店の大将は現在隠居生活
席数はカウンター12席、個室3室のお店
広くはなく、大将と見習いさんとホールが2名。
大将の修業先が大阪という事で、ネタは築地からの直送でした。
冬は鍋料理が主となるので、お座敷に入って鍋をおつくりします。
来店客の1/3が県内の方、残り2/3が県外の方でした。転勤族の方や接待用のお店ですね。
四捨五入して約20年前の話です

この時は自給で働いていました
書けない位低賃金
しかし、客層と待遇がなかなかよく、22時を過ぎるとお店の個人タクシーで帰宅
お店が忙しくなると、お酒の事など詳しく聞けないので日本酒と泡盛の勉強もしました。
八海山、久保田、越乃寒梅、上善如水、真澄etc 20種位ありましたが今は覚えてなくて
大将が10代の頃丁稚奉公で県外で働いていたという事も有り、私の年齢が若い事も気にせず色々な仕事を任せて、色々なお客様と話をさせてくださいました。
また、人生何事も経験という事で、スッポン、アンコウ、ふぐ等の調理工程を見せたり、危険部位の説明、捌きながら試食をさせて頂きました
さすがに、スッポンの血は二度と飲みたくないのとダンボールにスッポンをいれたとき閉店後にスッポンが箱を破って脱走してしまい、実は営業中もどこかを逃げ回っていたことでスッポン恐怖症になりました
その関係で、ここの休みの日に手伝いきてほしいと言って下さる経営者の方が現れ始めたんです。
・クルージング船の添乗(とまりんから出るクルージング船)
2時間位とはいっても、一旦陸地から離れるので保険などに加入しないといけないので、乗船時に受付をしクルージング中は、お客様の体調をみたり、飲物を配ったり、下船時に全員いらっしゃるかの確認等・・・。
・コンサート(コンベンションセンター)の芸能人用のケータリング
(笑っていいとも に、何度かお花を送っているお店でした)
・接待先のご夫婦のタクシーでの沖縄観光のお供
後は、人手が足りない時の急な人材補充という感じのヘルプでした。
名刺が当時で100枚位でした。
何でも興味津々だったので、どこでもヘルプに行っていました。
こちらのお店に働いているときに、仕事の譲り合いや相手を察するという事を学んだ気がします。
個人経営のお店なので、調理以外の仕事に関しては厳密に誰が何をやるというきまりがなく、飲物を出す人手が足りなければ空いている人が手伝う、会計・・余裕がある人が行う。
料理が遅い時には、飲物に合わせた小鉢などサービス品で使える物ををお出ししてお詫びして様子を見る。
また、調理ギリギリの段階までの厨房奥の準備(食材をだし、盛り付け皿を用意、等)
本日の料理ですぐ出せる物からやんわりおススメして、円滑に回る様にするなど・・・
このお店での経験が私が東京の専門学校に行きたいというきっかけになりました。
当時、お世話になった皆様本当にどうもありがとうございました
今回は私の原点ともいえるお店。沖縄県内の和食のお店。お店の大将は現在隠居生活

席数はカウンター12席、個室3室のお店

広くはなく、大将と見習いさんとホールが2名。
大将の修業先が大阪という事で、ネタは築地からの直送でした。
冬は鍋料理が主となるので、お座敷に入って鍋をおつくりします。
来店客の1/3が県内の方、残り2/3が県外の方でした。転勤族の方や接待用のお店ですね。
四捨五入して約20年前の話です


この時は自給で働いていました

書けない位低賃金
しかし、客層と待遇がなかなかよく、22時を過ぎるとお店の個人タクシーで帰宅

お店が忙しくなると、お酒の事など詳しく聞けないので日本酒と泡盛の勉強もしました。
八海山、久保田、越乃寒梅、上善如水、真澄etc 20種位ありましたが今は覚えてなくて

大将が10代の頃丁稚奉公で県外で働いていたという事も有り、私の年齢が若い事も気にせず色々な仕事を任せて、色々なお客様と話をさせてくださいました。
また、人生何事も経験という事で、スッポン、アンコウ、ふぐ等の調理工程を見せたり、危険部位の説明、捌きながら試食をさせて頂きました


その関係で、ここの休みの日に手伝いきてほしいと言って下さる経営者の方が現れ始めたんです。
・クルージング船の添乗(とまりんから出るクルージング船)
2時間位とはいっても、一旦陸地から離れるので保険などに加入しないといけないので、乗船時に受付をしクルージング中は、お客様の体調をみたり、飲物を配ったり、下船時に全員いらっしゃるかの確認等・・・。
・コンサート(コンベンションセンター)の芸能人用のケータリング
(笑っていいとも に、何度かお花を送っているお店でした)
・接待先のご夫婦のタクシーでの沖縄観光のお供
後は、人手が足りない時の急な人材補充という感じのヘルプでした。
名刺が当時で100枚位でした。
何でも興味津々だったので、どこでもヘルプに行っていました。
こちらのお店に働いているときに、仕事の譲り合いや相手を察するという事を学んだ気がします。
個人経営のお店なので、調理以外の仕事に関しては厳密に誰が何をやるというきまりがなく、飲物を出す人手が足りなければ空いている人が手伝う、会計・・余裕がある人が行う。
料理が遅い時には、飲物に合わせた小鉢などサービス品で使える物ををお出ししてお詫びして様子を見る。
また、調理ギリギリの段階までの厨房奥の準備(食材をだし、盛り付け皿を用意、等)
本日の料理ですぐ出せる物からやんわりおススメして、円滑に回る様にするなど・・・
このお店での経験が私が東京の専門学校に行きたいというきっかけになりました。
当時、お世話になった皆様本当にどうもありがとうございました