アメリカでの楽しかった時間

ソル

2016年05月18日 00:30

19歳の時、数か月間アメリカに行っていました。
その後にも1度家族と一緒に行きましたが。
今は東京まで飛行機に乗れるかどうか・・・?という状況なので海外旅行なんてスゴク会いたい人もいるし、行きたい国もたくさんあり、息子にも色々な所へ一緒に連れて行ってあげたいですが、現時点ではその実現はかなり困難な状況

19歳当時は海外旅行に興味なんてまったくなく、出発の前日までスーツケースも詰めずにいました。
1人でいく事にいまひとつ乗り気でなかったんですね。
そして、乗り物酔いをする私は一旦関西空港まで行きロサンゼルス行にいってさらにそこから叔母の住むところまでという、乗り継ぎ、乗り継ぎを繰り返し、機内でほとんど食事もとれない状況でアメリカに到着。
マクドナルドのハンバーガーを半分しか食べる事が出来ない位、疲労と全くしゃべれない英語と時差ボケに数日間悩まされました。
結果的には行ってスゴク良かった。
私の人生の考え方を変える、色々な経験ができました。
伯母が服飾関係の仕事をしていた事もあり、その仕事について行き色々な体験もできました。
シャネルのデッサンをみたり、色々なブランドの勉強をすることもできました。
1つ1つのブランドのルーツを学んだり

高級住宅街では1軒1軒の豪華な住宅に驚きました。
自宅地下に大きなワインセラーがある家
優秀な執事さん、個人住宅にソムリエやシェフが居たり、
廊下にネコ足のバスタブ、靴だけの部屋、帽子だけの部屋、バッグだけの部屋、自家用ジェット機を所持していたり
高級外車が何台も止まっていたり・・・
夢の様な世界で、見たことないない光景だらけ

一般中流家庭はヤードさん(庭師)が、手入れをしていて殆どの住宅にスプリンクラーが設置されていました。
伯母の付き添いで外出する以外は、1人で美術館、本屋さんなど色々な所をみてまわりました。
当時まだ日本に入っていなかったスターバックスも好きでした(店員さん超アバウト)
オペラやNASAも行きました。オペラは最高でした
また、移動手段の飛行機で驚いたのは40分前後の小さ目の飛行機にのる際、バスに乗る感覚で手のひらサイズのプレートを渡され、座席は機内の重量を均等にする為に、座った後に人の移動がある事(あなたは向こう側に移動して、あなたは前側に移動して という感じ)降りるときには、乗る時に渡されたプレートを渡して降ります

スゴク興味をひかれたのは、家政婦?さん的な仕事でした。
ホームパティーが多く、自宅にシルバーのカトラリー等を保管している住宅が多くそんな関係から、食器洗い1つとっても、勉強する事が多く、銅製品、銀製品、など磨き方や洗浄液の種類など200項目以上の事を学ぶそうです。
楽しそう
いつも考えるのは、あの時あのまま永住していたらどんな仕事が出来ていたんだろうという事です。

しかし、その後パニック障害になったことをきっかけに人生の2/3の楽しさを失ってしまった気がします。
今、何か1つ好きな願いをかなえてあげると言われたら間違えなく『パニック障害の完治・病気を発症する前の自分に戻りたい 』ですね・・

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